やりたくないこと

結論から言うと、奴隷から支配者になってやりたいことをやっていればやりたくないことはやらなくて良いわけである。

やりたくないことは? と聞かれて自信を持って即答できることと言えば、働くことである。

ではなぜそんなに働きたくないのかを洗い出そう。

嫌な労働

良い労働

つまり

基準

決まった時間に起きて会社に行かないといけない

社会人の約束として遅刻は厳禁、決まった時間に出社しないといけない、でもそれが辛い。

朝決まった時間に起きないといけない、前日翌朝に合わせて寝ないといけない、好きに寝起きしたい。

決まった時間内会社に居ないといけない

契約して勤務しているので最低限労働しないといけない、帰りたい、なんなら出社したくない。

残業があれば対応しないといけない、来たくもないのに更に居ないといけない。

決まった指示に従わないといけない

決められた業務をこなさないといけない、全くやりたくもない。

期待された成長をしないといけない、ダルい。

理不尽や高圧的な不愉快と付き合わないといけない、余計やる気をなくす。

 

自分のペース

好きな時間に寝て好きな時間に起きて生活できる、のんびり出来る。

自分ルール

自分で仕事の範囲を決められる、焦らず出来る。

自分の責任

誰にも命令されないので全て自分で考えることが出来る。

 

オーナーになればいい

気ままに好きなことで収入を得られればそれだけで幸せ。

法人を作るか個人事業主になって、好きな仕事をして生活できれば働くということは嫌なことではなくなり、喜びの素に変わる。

仕事をしているのに遊んでいるのと変わらない喜びがあればずっと幸せ。

会社を作ろう。

そんなに甘くない

労働奴隷(サラリーマン)のメリットとしては、経営のリスクがなく、自己肯定が出来て生活できることだ。

しかしオーナーになると全てが自己責任になる、収入を得るためのシステムを生み出さないといけないが、簡単にできるなら誰だってやっている。

では何が簡単ではないのか?

知識がないことが原因

やり方を知っていて何をすれば良いのか判っていれば誰だってやれる。

会社勤務だとその日やるべきことが決まっていてどうすべきかも決まっている、そしてそれはやり方を習っているから出来るわけである。

優秀なサラリーマン(笑)が自己成長し能力発揮できているのは、やり方を習ったからに過ぎない。

なぜなら疑問を持たずに企業に勤める者がほとんどである流れが決まっている体、学校教育では企業や金融についての本当の教育は絶対にしない。

なぜなら大多数の労働奴隷(サラリーマン)がいないと、支配者(金持ち)が不都合を被るからだ。

そもそも学校教育とは、産業革命により工場で効率よく働かせるために「読み書き・計算・持続」のできる労働者階級の子を早く・大量に生産する必要が出てきたためだ。

単純作業を長時間我慢して続けられるという、一定の品質を備えた労働奴隷を作るには決まった時間に一斉に集まり、同じ教育を同じ時間受ければ完成である。

つまりは奴隷と支配者の形が見えずらくなっただけで、現在も奴隷制は続いている、大多数の人口は奴隷のままなのだ、そんな働き方が楽しくないと感じるのは自然であり、大多数はお金に困っており、生活の糧のために労働を続けている。

奴隷と支配者はいつだって金と知で隔てられている、しかし現在はネットの普及により、運の良い人はキッカケを得やすくなった。

溢れる情報に、知識を発信する人々が現れ、経済的自由を手にいれて奴隷から自分自身の支配者(オーナー)に成るためのハードルが下がり、再現性が高くなったのだ。

知を得ることで金を得る流れに乗り、自由を手に入れ幸せに成る。 過去よりはゆるく満足できる可能性に手を伸ばさないのは勿体無い。

やりたくないことをやり続けないために次に再現性について話をしよう。

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