働きたくない

初めまして、ズットシロウトです。

 

人生の美学働いて働いて、働き疲れて、もう働きたくない。・・・そもそも労働したくない

でも家庭もあり働かないわけにはいかない、そんな私の怠惰な甘えに共感する人は意外と多いのではないか? そう思いライフスタイルを綴ろうと思い立ちブログを始めてみました。

せっかくの人生、どう生きるか。

ちゃんと考えてみよう。

なので今の私はまだ迷走状態です、同じ悩みを持つ人々と共感したり、遠慮なくダメ出しされたり、ブログを続けることでより良く前向きに歩んで行けたらと思います。

どうかよろしくお願いします。

 

経験の整理整頓

思想

まず、これからを考えるのに、これまでを振り返ろう。

それから思想、目標、行動を考えてみる。

このような自分探しは10代の思春期から遅くても20代前半には向き合うものかも知れないが、私はこれまで行き当たりばったりで生きてきたため考えたこともなかった。

しかし思い返してみると、その頃の年齢の周囲の友人知人はいろいろと思い悩んでいたなと気付いたのです。

生きている中で、環境や時の流れを感じ思案して答えを探しながら行動を続ける。

そこから思想が芽生え、目標や成り行きに任せ行動する。

これまでの経験の整理整頓をすると、どうやら生とは死までの暇つぶしである。

時空の起源を想像し時間という重圧に恐怖しても、生は終わるもので、これまでの時空では生きていなかった時間のほうが長いので死に怯えるのは勿体無い、楽しまないのは勿体無い。 ならばその「勿体無い」が私の思想だ。

そしてそれが私の幸福論。

思想の深掘り

人生は有限だ。 ならば限りある時間を幸せに過ごせるならその方が良い。

幸せであることを目標にして考えるなら、反対に不幸を回避できればかなり目標のハードルは下がる。 経済が発展し、飢餓や疫病のリスクが下がってきている世の中で、不幸を感じる環境とはどういった場合だろう?

避けたい不幸として単純に挙げられるのは経済的に苦しんだり、病気や事件・事故、天災にみまわれ突然終わるかも知れない。

その中で貧困と病気は避けやすい。

生が突然終わるのなら仕方ない、しかし病気や怪我で苦しむのは絶対回避するべきで、先天的な障害は別だが先天的に健康に恵まれたのなら後天的な病気というのは自己の過失によるところが大きい。

第一に無知であることが大きい、有識者であれば自己責任で選択し許容しているので別だが。

例えると車の燃費で言えば、健康をエコとした場合に低燃費な車は健康的で燃費の悪いスーパーカーなどは限りなく不健康だろう、それでも車好きでその分野に詳しく、且つスーパーカーが好きで乗っているのなら低燃費など関係ない、不健康こそ幸せというわけだ。

なので運動不足にタバコや酒は体に悪いということを子供の頃から聞かされているのに嗜好し健康を損なうのは本人が許容していることになるのでいいのである。それでも健康を損なった時に目標達成したはずなのに喜ぶどころか後悔する人がいるのは謎だ。

それは置いといて、ならば無知とは? 既存の生活環境において法的に許容されていて義務教育で教えられてこなかった部分だと思う。

国による化学物質の許容範囲、農薬や食品添加物、住宅のアルミサッシや経済的な金融知識がそうだ。

それぞれ享受している要素に疑問を持つ人は少数派で、そもそもが自分から知ろうとする教育を受けさせられていないのが現状だ、それは能動的な人が多数派になると少数の持つ既得権益に不都合が生じるからだ。

知識がないと消耗されるだけで終わり、大多数にとっては幸せでも私にとってそれはまるで楽しくない、不幸に当たる範囲だ。

知識があっても能動的でないと怠惰に消費するだけで終わり幸せに達しない範囲だ。

幸せに終わるには能動的に楽しみたい。

遊んで暮らしたい

能動的に楽しむとは?

固定時間とそれ以外の自由時間をどう自分から行動し、楽しく浪費するかだと考える。

それはつまり好奇心を刺激するということではないか?

生きていれば好き嫌いはある、消費にも必要な消費と選択できる消費がある。

そして食事・睡眠は避けられない固定時間、食事をすることは必要な消費で、ゲームやマラソンをすることは選択できる消費になる。

食事において自炊と外食があり、料理が苦痛な人にとって経済的に外食できない人の自炊は不幸である。 なら避けられない固定時間を楽しまないのは勿体無い。

自由時間において時間的比重の大きい労働には義務があるが、働かなくても死ぬわけではないのでイヤイヤ働いているのは自己選択。 なら楽しく働かないのは勿体無い。

好きなことをするより嫌いなことをする時間に勿体無さを感じる私としては、嫌な労働をせずに好きな浪費をして終わるかになる。

なら固定時間を楽しみ、楽しく経済的自由になるように働けば完結だ。

結果、遊んで暮らしたい。

しかし遊んで暮らせるゆとりも知識もやる気もない私がそれを達成できるはずもない。 まず行動力がないからこその現状です。

ヒモになる魅力も器用さもなく、むしろ養うべき家族もいるのだ。 それでも私は怠けたい。

それならハードルを下げて再現性を上げよう。

目標

遊んで暮らす、そしてその時間を楽しむ。

その能力もやる気も低いなら、そんな自分でもできることを目標にして達成してみよう。

人生を楽しむにあたり大事なのは健康第一、お金第二。

健康は・・・夜勤従事者であり長時間労働もしている意思薄弱で運動もしない私が自己管理出来ているとは言えない、ならまずは生活習慣の見直しのやる気を出すためにお金について考えてみよう。

お金

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世の中は資本主義で、資本主義は上記の不等式で表されている。

その仕組みに乗れば時間経過によって経済的自由を達成することはおおよそ再現性が高い。 つまりお金に困らなくなるわけだ。

私ですら出来るやり方としては、2023年からの新NISAを最大限活用することだ。

なるべく早く新NISAを満額投資して、 末の子の学業終了と共に早期退職、そしてお金の不安がなくなった状態で株の配当金と、その時選択し易い業種と職種で嫌じゃない働き方をしてその収入の範囲内で暮らす、それなら誰だって出来るだろう、自分で選ぶことは出来るのだから。

なので現在の目標としては早期退職までに健康を損なわない生活をする、子供を自立させる、早期退職後のやりたいこと探しをする。

以上の3点が現目標である。

行動

目標達成には計画と実践、何をするにもPDCAを回して致命傷を負わないように改善継続するのが失敗を回避するのに良いかと考える。

そしてそれは生き方であり、思想を持って生きるということは人生の美学ということだ、自己の体質や性格の根本に影響する人生の美学について考えよう。

人生の美学

人生の美学と聞くと、男のポリシーとか意識高めの価値基準などを想像してしまうが、自己の思想に沿った価値基準で完結するなら同じだと思う。

なので私の人生の美学は緩く好奇心を満足させる、緩満を掲げよう。

緩満

ハードルを下げて、自分自身が思うそれなりの豊かさで満足するということ。

なるべく頑張らず、やりたくないことはやらないように、それでも再現性が低そうであれば時間をかけてリスクを回避する。 その後でのんびり人生を楽しく生きよう。

これからすることは小さな楽しみを探しながら、再現性を高めるための知識を蓄えるように行動しよう。

 

 

 

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